旧車カタログコレクション

さっぱり元気がなくなってしまった自動車産業。環境・経済性を踏まえた新時代の自動車産業が繁栄することを切に願う車好きオヤジのブログです。



スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
[ --/--/-- --:-- ] スポンサー広告 | トラックバック(-) | コメント(-)

たまには綺麗なお花でも。 

120524a01.jpg
(クリックで拡大)

クルマとはまったく関係のない話ですが、写真の花、ジャガイモ(キタアカリ)の花です。ジャガイモは北海道等の大規模農家が大量に栽培し、保存がきくのでそれらが日本全国で販売されるため、うちではあまり本格的には作っていません。でもあまり手間がかからずに失敗も少ないので、毎年主に自家消費用として作っています。

少し前に最後の追肥と土寄せをしたので、あとは6月の下旬に、葉が枯れてきたら収穫するだけです。今のところ元気に育っているようなので、おそらく豊作だと思います。掘りたての新ジャガに少し切れ目を入れ、レンジでチンしてバターを乗っけるジャガバターは私の大好物で、晩酌のつまみとしては最高です。

さて、ジャガイモを栽培しているこの畑、戦争中は家族が食っていくためのサツマイモを作っていたと子供の頃祖母から聞いていました。毎日毎日サツマイモなので、私の父はサツマイモが大嫌いだったようです。とはいえ、食べるものがなければ餓死してしまうので、好き嫌いなんて言っていられなかったんでしょうね。幸いなことにこの地域は昔から農村だったので、好き嫌いは別として、何とか食料を確保することはできていたそうです。

昨今、「持続可能な社会」という言葉をよく耳にしますね。自然共生とか循環型とか低炭素社会とか、頭の良い偉い方々がいろいろと「持続可能な社会」を実現するために難しい話をされています。最近では「持続可能な経済成長」というなにやら訳のわからない言葉まで出てきました。

うちの畑、戦争中にはサツマイモを作って家族の食欲を満たし、現在もジャガイモなどを作って家族の食欲を満たしています。それにうちは自給自足の極貧生活をしているわけではなく、裕福ではないにせよ家族全員がそれなりの文化的な生活を送っています。つまり「持続可能」で「経済成長」もしているわけですね。

どうも巷で言われている「持続可能な社会」って、「環境を守るための犠牲は誰か他の方が払い、経済的なメリットのみを持続的に自分が享受する社会」のように思われてなりません。そんな社会が持続するはずありませんよね。

120524a02.jpg
(クリックで拡大)

ちなみにこの写真、うちのメイン作物です。写真に写っているのは甘夏の結実した花です。来年の1月か2月頃には、この実がソフトボールよりも大きな甘夏になります。甘夏の他、レモン、温州みかん、八朔、柚子等の果樹がうちの稼ぎ頭です。写真の木はもっとも古い甘夏の木で、植えてから約40年経っています。30年以上前からかなりの収穫量があり、現在も毎年少しずつ大きくなっているようです。2個100円で販売していますので、5円玉で飾られた金のなる木ではなく、50円玉で飾られた金のなる木ということですね。もちろんその50円玉は人為的に飾るのではなく、肥料として根元に埋めている生ごみの力、そして葉っぱに注がれる太陽光、花に寄ってくるミツバチ等が飾ってくれています。これこそ文字通り、「自然共生で循環型の持続可能な経済成長」ですね。

偉い方々が盛んにおっしゃっている「持続可能な社会の実現」という言葉がどうもまったく中身のない議論のように感じられたので下らないことをぐだぐだ書いてしまいました。「持続可能な社会」って、マクロの視点から青写真を描いて実現するものではなく、我々一人ひとりがそれぞれにできる範囲の身近な部分で、つまりミクロの視点で実現していくものだと思うんですよね。

以上、田舎の百姓オヤジの独り言でした。


[ 2012/05/24 18:59 ] その他 | TB(0) | CM(6)
最近こうして花や植物をじっくり見る機会がなく、なんか癒されましたよ!
我が家は庭がそっくり「車庫」になっているので、花といえばたまにホームセンタでプランタものを買って、外壁に飾るくらいですかね。

「持続可能な社会」って、人間の消費と、消費する生態系や環境維持とのバランスが保てるよう、計画性をもって資源の枯渇を防ぐことだと認識してますが、これって本来は「無意識」に実現できることであって、今あらためてクローズアップされているのは、やはり地球温暖化や昨年の震災の影響など、これまで人間が予期できない(・・・というかリスク察知が甘かった?)環境変化の結果なのでしょうか・・・

特に震災以降、経済復興にどうしても焦点が当てられがち(これは否定しませんが)で、どちらかと言うと、やはり「消費」重視の姿勢を、この考え方に強引に結びつけている感も否めません・・・
(素人の経済知識なので間違ってたら恐縮ですが!)

そういえば最近近所に住む義母が、オーナーである知合いから畑の一部を借り、うちの息子と一緒に水菜と葱を植えたそうです。
水菜はすぐに育ったらしく、最近おひたしにして食べたらしい(なぜか親父が知らないところで?!)ですが、息子的には、自分で土をいじって出来たものを食べることが楽しかったみたいです。
[ 2012/05/26 16:27 ] [ 編集 ]
お父さん様

コメント、ありがとうございます。
あくまでも個人的な考えですが、本来、自然は『持続可能』だと思っています。しかし、社会は『持続可能』ではありません。ゆえに『持続可能な社会』という矛盾をはらんだ命題をいかに解決するかという問題ができているんでしょうね。
解決策は意外と簡単で、誰もが皆、『自分自身は自然の中の一部』と認識できるかどうか、という点だけだと思います。
原発反対を唱えると、原発推進派からは「それなら昭和初期の生活に甘んじるのか!」という極端な意見が出てきます。そして反対派と推進派は決して妥協点を見つけることのできない平行線の議論を繰り広げています。
そもそも産業を興して人間が生活している時点で環境破壊をしています。それは農耕もそうです。ペットとして輸入された爬虫類や熱帯魚を飼えなくなったからそこらに放ち、それが生態系を乱すという話題がよく報道されています。
それを言うなら、ジャガイモもサツマイモも、本来日本の原生植物ではありませんから、それらすべてが生態系を乱していることになります。
甘夏、八朔は異種配合から生まれた品種、つまりDNA操作の賜物です。我々はこういう世の中で生活しているんですよね。
私は田舎の百姓ですが、クルマも好きですし、最新のパソコンやスマートフォンも大好きです。今はつまらないクルマしかないから買い換えませんが、面白いクルマが出たら、まだアクセラが壊れていなくても買い換えると思います。買い換えたいと思うようなクルマが出てほしいものですね。
ご子息の水菜、とてもいい経験になったことと思います。ちなみに水菜は収穫せずに放置しておくと、やがて綺麗な花が咲き、その部分に小さな鞘ができて仁丹のような種ができます。それを撒くと、また水菜ができます。
もしまだ刈り取っていない株があればお試しを。きっとご子息にとって新たな発見があることと思いますよ。
[ 2012/05/26 19:13 ] [ 編集 ]
返信コメント、ありがとうございました。

なるほど、「生態系」と一口に括ってしまう物の中にも、kurumamaniacs様仰せのように、人間の知恵による異種配合から生まれた産物が存在していたりするのですね・・・しかもジャガイモやサツマイモが日本の原生植物でないというのは、遅まきながら始めて知りました。

生態系は、本来の「生態」の流れを汲んで今に存在しているもの、また人間の「知恵」で生み出され存在しているもの・・・私もそうですが、普段消費すること自体が人間が生きる上での「必然」としつつ、持続できる生態が何なのか、「自分も自然の一部」という立場で、今一度よく考えてみたいと思います。

水菜へのアドバイスありがとうございました!
あらためて息子に聞いたら、どうやらまだ刈り取り前の株もあるようです。
早速試してみます
(・・・というか、オレにもおひたし食わせろ!って感じですが?!)


[ 2012/05/27 17:33 ] [ 編集 ]
お父さん様

コメント、ありがとうございます。
「日本は資源がないから、ものづくりで成長していかなくてはならない」というのが国内の一般的な共通認識になっていますね。
確かにそうなのかもしれませんが、そんな日本でも豊富に存在している「森林資源」は、収穫期になっているにもかかわらずほとんど放置され、荒れ果てています。国土の大部分を占める森林のうち、4割は人工林で、本来持続的な資源自給を目指し国の主導で作られたものです。良質な杉やヒノキが身近に余っていても、なぜか木材自給率は2割、ほとんどを輸入に頼っています。
そして放置した人工林のツケとして、現在、「スギ花粉情報」なるものまで放送されるようになりました。
長期的な展望と短期的な利得がごっちゃになるとこういう帰結になるという典型的な例ですね。
数年前に建て替えた自宅の床柱に京都・北山杉の磨き丸太を使ったのですが、とても癒されます。やっぱり私は自然の一部ですね。
[ 2012/05/28 10:58 ] [ 編集 ]
 「循環型社会」というワードが出てきたので一言。
 おそらく我々の世代が、それを知っている最後の世代かも知れません。それは「肥溜め」。人間の屎尿を田畑に掘られた穴に投棄し、嫌気性細菌により発酵のうえ堆肥として使用するわけですが、「肥溜め」には発酵作用で屎尿を低毒化させる作用があることはつい最近まで知りませんでした。
 今では、下水道や合併浄化槽の普及で全くその姿を見ることはありませんが、汚水を浄化するためには大量の「水」が必要になります。都市部では夏場の渇水が毎年問題になり、そのための「ダム建設」には当然賛成・反対の運動が起こり、利権のために多額の税金が投入されます。
 「肥溜め」から話が大きくなってしまいましたが、清潔で文化的生活を送るには、何かを犠牲にして生きていかねばならないのでしょうか?難しいですよね。
PS:愛知県産のミニトマトはおいしいですね。農業の盛んな栃木県でも人気がありますよ。
[ 2012/05/28 18:38 ] [ 編集 ]
nishiyan様

コメント、ありがとうございます。
肥溜め、懐かしいですね。通学路の畑の傍らには当然のように設置してありました。二つ並んでいて、一つは希釈用の水溜めでしたね。
肥溜め、ボットン便所の時代に育った私としては、ニワトリや牛の糞をお金を出して買ってきている現状にはいろいろと思うところがあります。
その一方で、数年前に自宅を建て替えてからは、「蚊帳」を使わなくなりました。「蚊帳」がなくても蚊にさされないなんて!と戦前に建てられた家屋に住んでいたうちの家族は驚いたものです。恥ずかしながら、我が家はつい最近まで「蚊帳」を使っていたんですね。
現時点でどちらが良いのかは私にはわかりません。そのうちに自分なりの解答を見つけることができると思っています。

ミニトマト、私も作っていますよ。うちは「フルーツトマト」という名前のものですが、夏場の稼ぎ頭です。愛知産も捨てたもんじゃないと思いますから、ぜひよろしく!
[ 2012/05/28 21:13 ] [ 編集 ]
コメントの投稿













管理者にだけ表示を許可する
プロフィール

kurumamaniacs

Author:kurumamaniacs
「未曾有の大不況が自動車業界を直撃!このままでは日本からカッコいいクルマがなくなってしまう!そしたらクルマが趣味の私は趣味がなくなってしまう!」と危惧している車好き中年オヤジです。
レイアウトの都合上、このブログには限られた頁数しか掲載していませんが、
旧車カタログコレクション(web版)
にて大きな画像及び未掲載の画像を掲載しています。





上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。