
今日は3月11日、あの大震災から5年が過ぎました。5年前のあの日、収穫したナバナを袋詰めしているときに立ち眩みになったかと錯覚するような奇妙な揺れを愛知のこの地では感じました。今日もあの日と同様、ナバナを収穫して袋詰めしていましたが、午後2時46分には作業を中断して1分間の黙とうをしました。この地でも毎年その時間には近所のお寺が一斉に鐘を鳴らしているようで、黙とうの間、どこからともなく鐘の音が響いていました。
この地域では毎年この時期にナバナ収穫のピークとなりますので、ナバナを収穫するようになるといつもあの奇妙な揺れを思い出します。と同時に、あの地震及び原発事故がなければ毎年暦に合わせて同様の農作業を続けておられたであろう被災農家の方々の悔しさも他人事とは思えずにいます。あの震災以降、大地からの恵みで生活をさせてもらっている以上、やがて私自身も大地から牙を剥かれることもあるという覚悟が必要だと認識するようになりました。
さて、5年という時間が過ぎましたが、まだ行方不明の方が大勢おられ、17万人以上の方々が避難生活を余儀なくされています。ずいぶん前に収束宣言が出された原発も、素人目にはまったく収束していないように思われます。その一方で、「アンダーコントロール」と大口叩いてまで招致したオリンピック競技場ではすったもんだの挙句に「聖火台がない」状態。きっとオリンピック会場に聖火台を設置することは「想定外」だったんだと思います。津波も想定外、原発事故も想定外、五輪会場の聖火台も想定外、なんだかちょっと複雑な気持ちですね。
私自身、震災当日、大量のクルマや漁船、住宅が津波によってまるで木の葉のように流され、また温室が一気に濁流に飲み込まれていく映像を目の当たりにし、なんだか考え方がそれまでと変わってしまいました。高性能なクルマも、強固な耐震住宅も自然の驚異には全く無力なんだとつくづく思い知らされました。
昨今、自動車業界では自動運転技術が主要テーマのひとつとなっています。個人的にはまったく興味がありませんが、2020年の東京オリンピックの折にはある程度の実用化が見込まれているようです。くれぐれもバグによる暴走事故等が起きないようにしてほしいものですね。どのような状況を「想定」して運転プログラムが作られているのかはわかりませんが、クルマを運転していると平時でも「想定外」によく遭遇しますので、ちょっと心配ですね。
震災後、自然に対してより謙虚な姿勢に移行していくかと思っていましたが、どうも逆方向へ進んでいるような気がします。地元名古屋でも新たな高層ビルが次々にオープンしていますし、都市高速もどんどん延長されています。さらにはリニア新幹線も走るそうで、過密化の一途を辿っています。まあ、優秀な方々があらゆることを「想定」して都市設計をされているから大丈夫なんでしょうが、なにかあったときに「想定外でした」とは言わないでほしいものですね。「想定外のことが起こりうる」ということがあの震災の教訓だったはずですから。
(このところ、すっかりクルマネタが少なくなってきてしまいました。震災後、やはり自分の中でクルマへの興味が少々小さくなってきているようです。人間、考え方は変わるものですから、何卒ご容赦願います。)

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