7月から再生エネルギーの固定価格買取制度が始まり、うちの近所でも屋根に太陽光発電を導入される方をよく見かけます。うちにもちょくちょく太陽光発電の営業マンが来られ、屋根に載せる太陽光発電のセールスのみならず、遊休地への事業用発電設備の設置まで勧めてきます。今まで顔を知らない客というのはたいていが怪しげな宗教の布教かアパート経営のセールスばかりでしたが、最近では太陽光発電のセールスばかりです。
確かに1kWあたり42円で20年間(事業用の場合)にわたって確実に電力会社が発電した電力を買い取ってくれるのなら、畑で野菜を作っているよりも楽で良い暮らしができるかもしれません。しかしながら私は太陽光発電にはとても興味がありますが、メガソーラーと呼ばれるような大規模な太陽光発電システムにはちょっと疑問を持っています。
相応の蓄電設備とセットになったメガソーラーで、昼夜とは言わないまでも、例えば朝7時から夜7時までは確実に何ワット発電できる、という大規模太陽光発電なら良いですが、現在乱立されている事業用の太陽光発電はそのようなものではありません。
あるメガソーラーの紹介では、一般家庭に換算すると何千軒分の発電量、という形で規模の説明がされていましたが、当然のことながら夜は発電しませんので、そのメガソーラーが稼動すれば何千軒分の電力がその発電所だけで賄えるという意味ではありません。
数年前、自宅を建て替えたときに私は太陽光発電は導入しませんでした。理由は停電時にあまり当てにならない設備だったからです。停電時には1.5kWまで使える自立運転モードというものがあるとはいえ、曇っていたり、また当然ながら夜には使えません。1.5kW程度ならクルマのバッテリーに直結するタイプのインバーターが手頃な価格で売っていますので、ガソリンを消費するとはいえ、クルマのオルタネーターのほうがより確実に電力を供給してくれます。
個人的には、メガソーラーの乱立は脱原発を進めるどころか、反対に脱原発を困難にする方向へ進んでいるのではないかと考えています。メガソーラーの規模が大きければ大きいほど、天候などの影響で発電できないときの担保の規模も大きくなってしまいますからね。
ソーラー発電は素晴らしい技術ですから、現在の熱病のごときブームが去って見向きもされなくなってしまうことを危惧しています。
広大な敷地にメガソーラーを作るのではなく、例えば各家庭で冷蔵庫と最低限の照明分として500ワットぐらいは、ソーラーパネルと蓄電池で賄えるような、電力会社と独立した小規模発電を確保するほうがずっと有用な気がします。
また公共分野としては、信号機や街灯等をそれぞれソーラーパネルとバッテリーで駆動するようにしておけば大規模停電が起きても混乱を最小限に抑えることができます。
ブラックアウトが発生したら大変なことになる、というのが原発再稼動の大儀ですので、『ブラックアウトしてもかまいませんよ!』という社会を各企業、各家庭が構築すれば、脱原発の議論もより論理的に進められるように思います。
原発反対だからメガソーラー、という風潮にちょっと疑問を感じていたのでちょっと思うところを書いてみました。それに、1kWあたり42円で20年間にわたって電力を購入してくれるというこの制度、人と人の約束事ほど当てにならないものはありませんからね。まして現在の政府が作った制度となればなおさらです。

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