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1968年5月号の『ニッサングラフ』という広報誌から、サファリラリーで活躍する
セドリック(H130型)のご紹介です。セドリックでラリーと言ってもあまりピンときませんが、国産自動車黎明期の頃は、観音開きクラウンやH130型の先代である
H31型セドリックもラリーに参戦していました。ちなみにこの紙面で紹介されている第16回サファリラリーが、セドリックで参戦した最後のサファリラリーで、以降はブルーバード、フェアレディZ、バイオレット等へバトンタッチされていきました。
それにしてもタイトルの通り“92台のなかの7台”しか完走できなかった過酷なラリーで、うち2台がセドリックというのも凄いですね。日産が“またも実証した世界最高水準の日産技術”と誇らしげに謳っているのも納得できてしまいます。セドリックからはあまり連想できない大きな前照灯やヘッドライトガードを装備して疾走する姿はなかなかカッコいいものですね。
高級車セドリックといえども、このようにサファリラリーを走破するほどの基本性能を秘めているから、後にさらに過酷な『西部警察』シリーズのカーチェイス要員としても活躍できたんでしょうね。“カー・ブレーカー(車こわし)”と呼ばれるラリーでも完走できるようなセドリックを次々に破壊していった『西部警察』のアクションシーンはよほど過酷だったんでしょうね。

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さて、セドリックがサファリラリーで大活躍した1968年といえば、今から44年前。紙面をめくっていくと面白い記事が載っていました。初代ローレル発表会の様子を伝える記事で、なんと400勝投手の金田氏とホームラン王の王氏の姿が写っています。金田投手は確かスワローズ時代に350勝ぐらいあげておられたはずですから、「巨人軍の選手」として紹介されている当時はおそらく380勝か390勝ぐらいあげられていたスター中のスターだったはずです。その金田投手の手にはローレルのカタログが入っていると思われる紙袋が提げられています。なんだか現在と感覚が違いますね。
当時のローレルは確かに現在の1800ccのクルマとは位置づけがかなり異なりますが、プロ野球のスター選手が興味を持たれるような特別な存在ではなかったような記憶があります。物価が異なるとはいえ、そもそも現在のように億単位の年俸を貰う選手なんていませんでしたからね。
この広報誌が出されてから44年、その間にセドリック、ローレルはなくなり、プロ野球のスター選手はフェラーリに乗るようになりました。街に溢れているのはローレルと同じ1800ccのエンジンとハイブリットシステムが積まれたプリウス。世の中変わったものですね。
話を戻してセドリックのラリー、現在のフーガが当時のセドリックのようにラリーで疾走する姿を見てみたいものですが、車体が大きくなりすぎたためにきっと無理でしょうね。ラリーの参戦車両って、各社相談したように徐々に下位車種に移行しているようですが、これって、すべてのクルマが大きくなっていくので、使いやすい大きさが自然と下位に移行しているんですよね。個人的にはラリーに限らず普段の生活でも同様だと思います。まあ、この先どうなっていくんでしょうね?

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